以下の投稿文書は、2001年、土曜美術社出版の
「詩と思想」の編集者から依頼を受けて、
「美術時評」欄に投稿した文書です。


2001年「詩と思想3月号」投稿文より
『不可解その1(符牒言語)』


先ほどから、茶髪の女子高校生二人の早口に聞き耳を立てている。
がどうもよく飲み込めない。
彼女等は確かに自分達の符牒言語で話すことで通じ合っている。
が私には通じない。もどかしい。
聞いていて何故かふと、『ここに座れ』と命じられた女子社員が、
上司の膝に腰掛けてしまうテレビ広告を思い出した。
当たり前の言葉が、世代間のギャップゆえに全然通じない事は皮肉だ。
かって支払決済のために『小切手を切って』と上役が部下に指示すると、
はさみで半分に切った小切手を差し出したという笑い話があったが、
今や笑い話で済まないのが現実かも知れない。
では美術界は如何であろう。
先人達の努力のお陰で、今日作者や作品に対する考察もかなり進み、
情報技術の格段の発達がさらにそれを後押している。
創作に関わる手法や技術はもはや出尽くしたかの感もある。
作家側に立てば、多くの選択肢の中から、自分が納得する技術を選び、
時間をかけて修得し、磨きに磨いて自らの思いのたけを、
あらゆる手法を駆使し表現したものだけに『そんなに簡単に分かってたまるか』
という自負心がお有りなのは分かる。
だからといって『芸術は言葉で語り尽くせるものでない。
生命に関わる本質的な問題なのだから鈍感な者など構っておられない』
などと豪語して欲しくない。
普通の人が疑問に思う些細で直載な質問には、
せめて作者として相手の納得のいく平易な言葉できちんと
説明主張出来ないようでは困る。
作家に媚びる、一部のしたり顔の物知り達のこむずかしい饒舌な甘言に、
得心首肯しているのも頂けない。況んや自分達の仲間内の符牒で一喜一憂、
喜怒哀楽し、ののしりあっていても救われない。
作家周辺の画商や評論家、
そして美術雑誌の関係者も大同小異で、彼等の言葉が陳腐で
皆が辟易していることに実に気が付かない輩が多い。
自分達だけが作家や作品の本質を理解していると誤解し、
意味不明の御託を列べ、悦に入っている様は実に醜い。
私自身の自戒も込めて心せねばならない。
生活者の立場では、とうてい理解し難い高額品や、
有名作家ということだけで縁もゆかりも薄い作家の作品を購入し、
収集の方針は曖昧で特色を持たない無目的の美術館の関係者達、
或いは、与えられる公的予算が少ないと嘆くばかりで、
営業努力を惜しむアイデアと情熱の欠落した学芸員を抱えた多くの
公立美術館関係者達、彼等の言葉は、もはや一般人には伝わらない。
美術館事業を持続させるのに自尊心と学歴だけが自慢の
頭の硬い一部の人の能力だけで行えるとはまさか考えていないとは思うが
彼等の言動を見ていると、あの女子高校生の会話と変わらない
自分達だけの符牒の世界に酔いしれたお仲間の集まりに見えて来るのだ。
仲間内だけに通じるエゴイズム言語で話してさえいれば安心する習癖は、
哀れな人間の本質的な精神構造とも言えるが、
現況の日本で特に顕著に進んでいる気がする。
以心伝心と云うけれど、相手が鈍感な人間の場合はときに誤解される。
符牒は避けて出来るだけ平易な言葉を尽し通じ合うことこそ、
一つの平和と進歩を構築する重要な鍵となる。
然るに偏狭で不可解な今日の美術界の病巣を治癒するには
余程の覚悟が必要な様だ。



2001年「詩と思想4月号」投稿文より
『不可解その2(残されたペン)』


乱雑になった引き出しを久しぶりに整理していると
一本の黒いボールペンの存在に気付いた。
キャップをはずしメモ帳に走り書きをしてみたが、
紙にはペン先の溝跡が描かれるだけで勿論インクは出てこない。
それは、二十年以上前に結果的に手に入れることになったものだ。
当時私が勤務していた銀座の画廊に、ある夫婦が入って来た。
その日は、土曜日というのにいつになく訪れる客が少ない閑な日であった。
見知らぬ訪問客には、「いらっしゃいませ」という言葉以外
余計な言葉をかけず;様子を見ているのが通例である。
スペースの広い画廊なので目を合わすことも無く、
遠めにその客の絵の鑑賞の仕方などを見ていれば大概、
興味の程度が推し計れる。(ものと思っていた)
この客は、物腰、風体、作品に寄せる関心度どれをとっても
コレクターのそれでは無く、
暇つぶしに立ち寄ったとしか思えなかった。
やがて、お腹だけがやけに大きい男性がこちらに近付き
「欲しい作品があるのだが」という。「はい」と半信半疑で話を伺うと、
展示してある150点ほどの作品の中から20点ほどを次々と選択し、
購入したいと言う。
大抵の客はこれ程の点数を選ぶとなると、支払い条件や値引きの事を
必ず言及するものだが、それには一つも触れず、言われた価格に
いちいち得心している。話の様子に気を利かせた女性従業員が出した、
煎れたてのコーヒーとウェストのチョコレートケーキを
二人はうまそうに頬張りながら、ペンで住所と名前と電話番号を
メモに書いてテーブルに置いた。
「目下改築中なので納品は先にして欲しい。
月曜日に現金を持って来る」と言うとやがて店を出た。
丁重に応対はしたものの何かまゆつば臭いので、
先程書いたメモの電話番号へ念の為電話してみると
案の定現在使われていない番号であった。
特に被害は無かったが、敢えて被った損害はと言えば、
上等なコーヒーとケーキの代金であろうか。
逆にその時私が手に入れたものが夫婦が残していったこの安物のボールペンである。
勿論その後この夫婦は、お店に訪ねて来ることは無かった。
それにしてもこの夫婦のねらいは何であったのだろう?
不可解の思いを隠蔽したまま机の中でボールペンは今日迄眠ってきた。
ひょっとすると画廊の応対に対するささやかな挑戦であったのだろか?
一般に銀座の画廊は、今日でも初めての客が入るには若干、敷居が高い店が多い。
門構えそのものからして抵抗を感じるようないかつい画廊もある。
そして何故か、受付にいる女性は背が高く色白の細面の美人が多く、
たいてい机の向こうで何か記帳をしながら冷ややかな挨拶をする。
(どうやら銀座の画廊主は、このタイプの女性を好んで雇用するようだ)
それにしても小作りの愛くるしい顔だちの女性達は、デパートの画廊
などでは見られ、明るく挨拶を交わす姿に私なんぞは親近感が湧くのだが・・・
高額品を扱う店としては、いつ何時強盗に変わるかも知れない
物騒な時代なので、特に用心をして冷笑と慎重をきめこんでいるのであろう。
こう考えてくるとあの夫婦が、あの日の私の態度をみて
買わない客に冷淡な画廊の応対に一泡吹かせたいと思ったとしても
不思議で無い気がする。



2001年「詩と思想・5月号・」投稿文より
『画商の眼・コレクターの眼』


画商とは、絵を売って生業を立てているから当然の事ながら
どんな不景気な時代にあっても、優秀な作家の傑作を求めて展覧会を
企画し、如何に鑑賞者を納得させ飽きさせないかという
展覧会の観せ方が、即営業成績に関わって来ると承知している。
同時にまた、次の世代の範となる良質な作品やその時代を探るよすがと
なるべき貴重な作品を画商の方針として系統的かつ量的にも
どれ程収蔵出来ているかも問われる。
そのことはただ単価の高い超高額品を目玉的に収蔵することで
誇れるものでは無いことを、多くの画商達は心得ている。
傑作を手に入れることは、実は画商として生命の浮沈に関わる
重要な問題なのである。
功なり名を遂げた作家の作品なら駄作でも普通作でも構わない
という画商は別として景気動向に関わらず優れた作家の傑作を
求める気持ちを大抵の画商は、持ち合わせているので
優品に出会うと放って置けなくなるのだ。
画家や制作者にとって画商は、実は最良のコレクターの一人なのである。
優れた作品は、人には媚びず、人の気持ちを揺り動かすだけである。
時折、時代の風潮や勢いに掻き消されて、一部の人達以外は
気がつかない場合もある。厄介なことに、どんなに優れた作家でも
全て傑作を作れる訳では無いからである。
挑戦的な優れた作家の展覧会を企画すると、思わず
「これは、この作家にとってこの時期で無ければ生まれて来ない傑作だ。
出来れば売らずに自分の所蔵品に加えたい」と思わせるような作品に
出会うことがある。
しかし画商としては、売却しなければ営業を継続することが出来ない。
ジレンマに悩まされる一瞬である。
手許に残しておきたい甲乙つけ難い優品が何点かある場合は、
たとえその一点が売れても、別の代替の作品を選択することで
精神の空白を穴埋め出来る。
麗澤な資金を持ち合わせていない画商は特に、
売却して得た利益の中から自らの希求する優品を収蔵品として、
たとえ1点でも増やせるわけであるから、この通りに
営業出来ればなんとも都合良くこの上ない至福の時を迎えられる。
しかし現実は、優品傑作がそうそうあるわけ無いので、
そういう作品はこちらが目立たぬところに注意深く展示しておいても
眼識力のあるコレクターに必ず見つけられて早々と行く先が
決まってしまうのが落ちだ。
それでも時として展覧会最終日を迎えても、運良くこちらの
睨んだ傑作が売却されない儘でいる時は、当然の事ながら
その作品は、こちらの収蔵品となり作家の手許には戻らない事になる。
従って全作品完売となる数字上、成功に見える企画よりも
最終日をほくそ笑んで迎えられる企画こそが、
成功の展覧会ということに私なんぞはなる。
従って画商が何よりも店の重要な顧客として大いに期待する反面、
畏怖の念を抱く顧客は、実は優れた眼識力と資金力を
両方持ち合わせたコレクターということになる。
バブル時代に一時的に投機目的で買いまくった疑似コレクター
については、近頃ではすっかり姿を消した感があるので論外だが、
十年二十年という単位で、継続的に収集し続ける
優れた眼を持つコレクターと対峙する時こそ、
画商が真剣勝負で作家と作品の評価に臨む時なのである。



2001年「詩と思想・6月号」投稿文より
『酒処で生きるコレクション』


美術品のコレクターとの出会いと言っても実に千差万別で、
どんなに金を積 まれても、この人には売る気が湧かない
という客もあれば、画廊で偶然出会った 作品に心惹かれ、
なんとかやりくりしてでも購入しようと算段される客
などには、その方の負担が少なくなるように色々手をうって
希望に添うてあげたいという人情が生じるという事もある。
中には逆手をとって、こちらの足下をみて法外な値引きを
要求したり、故意に支払いを引き延ばす客 もあるが、
この手の輩はいつかこちらも応対に嫌気がさして次第に
縁遠くなるのが一般である。
高邁で優れた眼を持つコレクターとの出会いは、
こちらも魂を磨かれるので精神が高揚する。
皆が注目し始める以前に美術品の優劣を見抜く眼力がある方は、
はでなスタンドプレイはしないものである。
そんな優れた眼を持つコレクターの一人がここに
ご紹介する小林様である。
鹿児島に天文館という県内随一の盛り場がある。
その天文館大通りから一歩入った一角は
千日町というバーや飲食店が林立する地域である。
地元周辺の人々や政財界人達は勿論、全国から観光客や
出張者が訪れ、ひと頃程では無いが今でも夜毎の賑わいを
見せている。その小路に彼女小林様のお店がある。
縦長の金色の取っ手の付いた黒塗りの扉に「こばやし」とある。
そう彼女はバーのママ なのである。
私の敬愛する画家・故安徳瑛の鹿児島での展覧会の為に出張した折、
百貨店の美術担当者のH氏から是非紹介したいところがあるから
と言うことでお連れいただいたのがこの店であった。
店内はカウンターと奥に応接 セットが用意され、
ヨーロッパ調のシックな内装がいかにもママの人柄を表し
気持ちをなごませる気さくな店である。
みーちゃんという小造りで愛嬌のある女性と二人だけで
切り盛りしている。
常日頃からどこであれ部屋に架 かっている絵にどうしても
眼が行く私は、入口付近の壁に架かる一見抽象風の
素晴しい水彩の小品が気になっていた。
この時同席していた安徳瑛もやはり同じ思いを抱いていた様だ。
それは、海老原喜之助の作品であった。
海老原こそ彼の熊本時代の恩師であり、師の薫陶を厚く
受けた安徳瑛にとって、その作品が海老原の優れた作品である
ことを当然のことながら見抜いたのであった。
その時初めて何故H氏がこの店に我々二人を
案内したかを察知したのである。
ママはおそらく安徳と海老原の師弟関係を承知の上で
その絵をわざわざ飾ったのであろう。
そういう心遣いをする方である。
この時開催された安徳瑛展 への出品作で
傑作の二十号の油彩画「耕地と木々と」がママの眼に叶い
ご購入いただいた。
作品は安徳瑛が病没した96年まで店の奥の壁に飾られ、
安徳瑛の画集と併せて店に来た客との間で交わされた
という様々な美術談義のことをその後ママから何度も伺った。
美術品の楽しみ方にも色々あるが、
美術館や画廊の展覧会を見るまでも無く
こうして生活の一部として取り込まれた空間の中で
美酒を味わいながら気軽にさり気なく美術談義の花が咲いてこそ
美術品は生きようと言うものだ。
色白でふくよかな笑顔の懐の深い知性溢れた ママの眼の奥が、
美術品を観る時だけ一寸厳しく光るのにある時気が付いた。



2001年「詩と思想・7月号」投稿文より
『青のサント・ヴィクトワール』


5回が約束のこのコーナーへの投稿の最終回にあたり、
敬愛して止まない画家・安徳瑛(元国画会会員・1996年2月1日
肺癌により死亡・享年55歳)の作品について言及する。
安徳瑛病没後、すぐに某社の依頼で書いた作家への追悼文の中で、
私は「形成の画家『安徳瑛』この希有な魂は決して眠 らない」と
題し,画家の学生時代から亡くなる迄の全生涯作品を8つの
時代に分けて、概観して述べた。
安徳瑛が、究極の造形をつかむために自己の内的衝動や
認識の変化に溺れることなく、時代毎に創意と工夫を重ね
多様な変遷を遂げ、常に絵画性重視の姿勢を貫いたことこそ
重要な意義があるということを強調した。
タイトルに掲げた「青のサント・ヴィクトワール」
(1994年作15号油彩)は、
晩年の代表作の一点で「せめぎあう白と黒の時代」へ
入りかけた頃のものである。山を題材の作品は、
画塾を開いていたごく若い頃に描いたことがあると
画家は語っていたが私はその画帳を見ていない。
山を題材の油彩作品は全部で8点しか無い。
作家は、通常の山岳風景を描く積もりは毛頭なく
「リアリテイのある山にしなければならない。
リアリテイとは、在ることをどれだけ絵画的に、衝撃的に
成り立たせるかだ」とこの頃始終 語っていた。
画家を古くから知る連中でも、この時の画家の変貌ぶりには
驚きと感嘆の声をあげる者がいた。山を題材の最初の油彩作品は
実はもう少し早く「ながつきの山」と題する「櫻島」を
テーマの作品が92年から93年 にかけて描かれている。
山を描いた作品は、いずれも作家の気迫が強く感じられる
名品ばかりで余分な形態を剥ぎ取り、叙情性や文学的思考を
塗り込めてごまかすようなことだけはしないという明解で
強い画家の絵画性重視の意志の表出がみてとれる。
画家は、この「サント・ヴィクトワール」を初めて眺めた時の
印象をノートに「・・セザンヌが通い続け、思索を重ねた日々を
思うと息を呑んで立ちすくんでしまった。
冷たく透明な風によって、裾野から頂きへ、
えぐり取られる形態は(中略)小さなひとつひとつの形の連続
によって一 つの宇宙を創り(中略)
山の向こうの形と、ここに見える姿と、形の連続を気 にしたんだ」と
セザンヌへの思いを馳せながらも安徳自身は、眼下の大地の木々を
貫くように屹立するサント・ヴィクトワールの光景を見て
「山の表情と空の形とのせめぎあいが気になっている」と書いている。
この体験後に描かれたこの作品は、確かに暗くて深い潅木の
中から突き出たような鋭い山の形が、真っ青の空と
今まさにしのぎを削っているかに見え画面全体は清涼な
透明感に満 ちている。
サント・ヴィクトワールは、もう一点30号の作品が在り、
これまた秀逸で、こちらの空は緑一色に描かれ大地も新芽が
吹いたような緑に覆 われている。
山肌が桃灰色に輝き山の形態の強さがより強調されている。
この 作品は、すでに或るコレクターの所蔵となっている。
安徳瑛の作品に寄せる思 いは尽きない。
作家や作品にまつわるエピソードも数々ある。
本年、画家没後5 周年を迎え早ければこの秋
「安徳瑛の生涯と作品」と題し私なりの「安徳瑛論」を
さらに詳細に言及した本を出版する予定である