「たまさか」2019年~

<<2019年10月13日>>


ラグビーワールドカップ
‘凄いぞ桜ジャージーの日本チーム’

「念願の8強へ  (プール戦の総括) 」
日本開催の今回のワールドカップでの
日本のプール戦全勝は、
今週の19号台風で甚大な被害を蒙った
日本各地の人々にも
大きな夢と希望と勇気を抱かせる
戦いぶりでした。
ラグビーファンのみに留まらず
老若男女も問わず、北海道乃至沖縄は
無論世界の果てまで、
日本チームの驚異的な大躍進ぶりは、
人々を興奮の渦に巻き込み、
一気に日本でも「ラグビー通」が
誕生し、日を追うごとに
熱気が膨れ上がっている今回の
日本開催ワールドカップを、
誰が予想したでしょう?
かく言う私も、まさかのプール戦
全勝など、思いも
よらなかったのです!
対ロシア戦は、世界ランキングの
差から
すると実力通りの結果で、
「まあそんなものだろう」と
平然としていました。
しかし、対アイルランド戦の勝利
以降、これは「ひょっとすると、」
という思いが強くなったのです。
過去勝率の悪い対サモア戦では、
後半まもなくモールからそのまま
押し込んでトライを上げた時、
そして、ゴールライン3-5m手前で
スクラムからの強力な相手の押し込み
攻撃に対しても一歩も引かず相手の
トライを、容易には許さず、
挙げ句の果てには、リーチマイケルと
姫野の連携プレーでジャックルして、
結果トライに結びつけた
シーンを見た時は、本当に涙が
出るほど感動しました。
対スコットランド戦では、もはや
日本チームの勝利は、揺るぎない
ものと多くのラグビーファン達は、


確信に近いものを感じ始めて
いましたが、その通りの結果に
結びつけた日本チーム
には、もう感服です。
スコットランドの必死の形相の
猛烈なアタックに耐えて、
スクラムや、モールでも常に
優位を張り、フォワード陣
バックス陣の強烈な連携プレーが
見事にハマり、強いタックルと
相手の間隙つく、速いパス回しで
タッチラインギリギリを
走り抜けて福岡等が、
次々とトライに結びつけたのは、
すごいの一言に尽きました。
具智元等、怪我人続出のこの試合は、
兎にも角にも壮絶でした。
後半は、スコットランドの猛攻撃は、
流石、決勝トーナメント常連国
だけあって、容易には、
勝たせてもらえず、
冷や冷やしました。
前回のワールドカップでは、無念の
最終戦対スコットランド戦惨敗の
結果を含め、決勝リーグに
進めなかった理由が、トライ数の
少なさ故にポイントを上積み
出来なかったり
世界の強豪国の強靭な体力に、
打ち負かされてスクラムや
モールで押し込まれて、
得点を与えてしまった
弱点を、この4年間の間に見事に
乗り越えてしまったのです。
これは想像するに、選手及び
スタッフ達一同、一丸となって
血の出るような猛烈な訓練を
繰り返し、練りに練った戦術を
克服して来た賜物と言えます!
さらに言えば、
前線のフォワード陣の
強い当たりから、確保したボールを、
流、田中等の司令塔を中心に、
早いパス回しによる展開で足の
速い、松島、レメキ、福岡らの
バックス陣が、
受け継ぎトライに結びつける
数々のシーンは、
「本当に素晴らしい!」
としか言いようがありませんでした。
もはや日本チームは、
正に世界の強豪国の仲間入り
となったと言っても
過言ではありません。
早くも気の早い連中から
「優勝」の二文字を期待する
声が聞こえ始めています。
いずれにせよ、
「One for All !All for One!」の
ラグビーの醍醐味を完璧に
実践している
日本チームの戦いぶりは、
今後世界のラグビーの
手本となることは、
間違いなさそうであります。


<<2019年9月28日>>


「孔子の言葉」

中国では9月28日を孔子の誕生日(?)として
祝われているらしい!
(現在は、10月9日という説が
一般的のようだ、、)
ことの薀蓄をここで、私が申し上げる
必要も無いので、本論に移る。
孔子が晩年に振り返って言った言葉
『論語・為政』に「子曰く、
吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順う、七十にして心の
欲する所に従えども、
矩を踰えず」
私は、この言葉を中学生の時に、
知って以来、今日まで、歳を重ね、
この言葉の歳を迎える度に
脳裏にごく自然に浮かぶこの言葉の
呪縛から解放されず、
心乱されて来た!
それぞれの年齢が近づいて来る度に、
「自分の人間力、精神力は、
どの程度?、、、」と
いつのまにか、比較する癖が
ついてしまっていて、
常日頃の自分の言動に想いを寄せて、
遥かにその域に達していないことを
自戒し、自分を恥じつつ密かに、
心へこんで来た。
然るに、縁あって、この世に生を
得た者全て、成長とともに
自分が、あきらめない限り、
技術や知識は、努力と学習によって、
かなりの程度身に付くものではある。
人によっては、特別な才能を持って
生まれたことにより、
技術や知識が非常に卓越した者もいる。
しかしそれだけでは、万能ではない。
彼等の「奢り」「傲慢さ」「勇み足」が、
必ず邪魔をする
時が来るからである。場合によっては、
「小賢しい奴」として反感や憎悪を
生み出し、他人から疎まれ、
運が悪ければ、命をも失いかねない。
折角の才能も開花せず終焉を
迎えることになる。
かような人物は世にあまたいることは、
数々の歴史の人物伝を振り返えり
みれば明らかである。
不思議なことに、世間には、
必ず「技術」や「知識」に
勝る「黄金の知恵」を併せ持つ稀有な
人物と言われる人達がいる。

然るに、彼等のような
「超絶 知恵者」が、ユーモアという
センスをも、適宜適切に活用しつつ
繰り返し世に貢献し、自己を更に
研鑽し続けることで、
「徳」という人格が自然に身に付き、
次第に神々の「お気に入り万覚帳」に
記録され始めると
多くの人々から「崇拝」という
熱い眼差しが漸く向けられる。
やがて、神々の暮らす世界への門の扉が、
ゆっくりと開き、中へ導かれ現世の
身躯から幽体離脱する刻が来る。
もはや、有機的な生命体を
保持する必要もなく年齢を数える
必然性も無い永遠の刻が始まる。
正に酸素や炭素他の元素で構成される
宇宙の構成要素に
還元され、無意識の世界へと
昇華されていくのだ。
その存在の気配を感じるのは、
現世の人間達の
思いの強さだけなのであろう。
近頃評判のNHKの番組に登場する
「チコちゃん」の言葉を
借りるまでもなく「ボーと生きている」
平々凡々、尚且つ欲ボケし、
ロクでもない事ばかりしか脳裏に
浮かばない私のような人間は、
これから先幾つになったとしても、
孔子のように、「己の欲する所に
従えども矩を踰えず」とは、
絶対ならないから「地獄の閻魔」さんが
手ぐすね引いて、
待ち構えていることは
あったとしても、天からの迎えは
絶対来ないだろうと思うと、
少しの病痛で苦しむ時や、
闇夜の晩には、地獄への門が
大きく開き、そこへ吸い込まれて
行きそうな気分になって、
ハッとするのだ。


<<2019年9月911日>>

 展覧会シーズン 「手土産」

いよいよ、巷間「美術の秋」といわれる季節が、やつて来ます。
そこで、かつて、長年付き合いの
ある画家の個展を見学した時の思い出話です。
この画家は、すでに数々の受賞経歴を持っていたのでかなりの知名度
もあり当然ながら、次々と画家と知り合いの人が、引きも切らず訪ねて
来ており、中には、明らかに上等そうな手土産
(おそらく画家の好物と知って持ち寄ったものなのでしょう、、)を
手渡している人もいます。
そんな中、明らかに当の画家仲間と思われる人物がやって来たのです。
ひとしきり画家に挨拶をしたが、自分は、部屋をぐるりと
見渡すだけで一向に作品を念入りに観る訳でもないのです。
先程までの人並みが引くと、当の画家に向かって
「お菓子なんかいくら貰っても、嬉しくないよねー、、」と、
自分の思いを強制的に当画家にも同意させようと、どう見ても
厭味にしか聞こえない口振りが、私の背中から聞こえてきたのです。
私なんぞは、不中用(ヤクザ)な性格だから、このような台詞を
聞くと、あんた、何をほざいているの?あんたのように、金銭欲の満々の
下心が見え見えだから、あんたの作品は、売れないんじゃない?
「手土産」持参したのは、今回は、手持ち不如意で購入は出来ませんが、
せめて画家に対する好意のお印です、、という事なんですよ!
本当にこれは、画家の渾身込めた傑作であると、感じれば、
コレクター達は、何としてでも、都合をつけて、コレクションに
加えたいと考えるのが普通ですよ!
時間がどうしてもつかないとか、病気だとかの理由で
止むなく観覧出来ない場合は、別としても
大抵は、少なくとも見には<行きます。初めから、
興味がなければ、行きません。然るに、手土産を持参してまで、
見に行く人に対して、貴方の考え方は、一人の贔屓を
失ってしまっています。その事に気が付いていない
貴方は、「よほどの阿呆とちゃいますか?、、、」と、
言いたくなってしまうのです!!

掲載写真:サギソウとカワラナデシコ


<<1919年5月26日>>
 
たまさかよもやま考「香水」

この季節、シェーネの庭は、バラ他、植物達の芳香に庭中、包まれている。
先日、ちょっとした出先で、よく話を交わす
知合いの小学校低学年の女の子と出会った時のことである。
この時、女の子が何気に取った行動で、私は、かつて観た
古い映画の香水に関するワンシーンを思い出した。
近頃様々な事件が多い中、大抵の親達が、子供達に、
たとえ知り合いと言えども男性に気軽に話しかけるのを
警戒するように(況や、娘なら尚更であろう!)教育されている
中で、この子は、いつも、私の名を呼び、屈託無く 愛くるしい笑顔で、
色々質問をしかけて来る。面白いので、私も、
よくよく出来るだけ正確に答えるようには、心掛けている。
その日は、いつになく私の身体にすり寄ってきて、
私の胸の下あたりに鼻を擦り寄せて、私の匂いを嗅いで、満足したような
顔をしていた。一瞬ドキッとしたが、冷静を装った。
私は、自分の身体から放つ香りにある時から注意するようになった。
その頃、確か、今は亡き名優「山村聰」もしくは「志村喬」の
主演映画だったように記憶しているが 定かでは無い。
もちろん映画のタイトルも覚えていない。
私が10代後半頃に見た古い日本映画のワンシーンである。
主演のその男が、部屋の薄暗い電灯の明かりの中で愛人と二人佇む中で、
「愛人」が香水をつけようとすると、その男が女に、低いしゃがれた声で
「香水をつける場所と付け方」について講釈するのである。
、、、、、
私は、香水の持つある種の艶かしい意味合いと、香水とは、
本来男が熟知しておくものなのだと、歪曲した理解をしたのだった。
微かに鼻腔をくすぐる香りには、心地良いものがあり、
今日までシェーネの庭でも、バラやハーブ類を始め沢山の良い香りの
する植物達を植栽し、育てている。
私の人生に於いて、香りは、切り離せないものである。
掲載写真:
1、ラベンダー:数は少ないですが毎年この場所で花をつけます
2、レモンバーム:バラが植栽されている地表部に、
手が付けられないほどあたり一面繁茂しています。
傍を通り葉に足元が触れますと香りが立ち上がります。

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