アルブレヒト・デューラー (1471-1528)

1471年、ドイツ南部のニュルンベルグに生まれたデューラーは、
金工家の父の下で見習いをさせられたのちに、画家ミハエル・ヴォルゲムート
のところで15歳から3年間年季奉公をした。
1490年の復活祭から18ヶ月間バーゼル、ストラスブルグなどドイツ各地の
遍歴の旅をした後、1494年にニュルンベルグに戻り結婚している。

ヴェネチアへの旅行を通して作品を描く中に、自己の芸術に欠落していた学究的な
側面を補いかつ個性を打ち出す為に数学や幾何学、ラテン語、古典文学等々を徹底
研究した。これはレオナルドやマンテーニャ、ベリーニなどイタリアの巨匠達からの
強い影響と思われる。1512年に皇帝マクシミリアンの宮廷画家となって以来
名声を得、ヨーロッパの諸都市を訪れ歓待されている。
デューラーの膨大な作品は、木版その他の版画、絵画、素描などから
なっているが、著述も残されている。
イタリアルネッサンスの美の形式をドイツの美術の伝統の中に生かした版画は
なかんずく大きな影響力を西欧に与えた。木版画と銅版画の双方のテクニックを
完全に熟達することで版画の領域を拡大し、彼の下で学ぶ職人達にも厳しく訓練する
などによりグラフィックアートの水準を引き上げることに大いに貢献した。
デューラーが木版画や銅版画の傑出した巨匠といわれる所以である。

彼の作品はいずれも、生き生きした図像のイメージが、熟達洗練された技術の中で
鋭く見る物を刺激し、幾重にも重ねられた複雑な図像は、
大概の画家の模倣出来る域をはるかに超えた作品なのである。
彼以前にも以後にも二度と現れることの無いまさに
不世出の巨人である。


デューラーは、1495年後頃から銅版画を始めたが、最初にモノグラムを用いたのが
この作品「
バッタのいる聖家族」に於いてであるとされている。大文字のAと小文字のd
の組み合わせで記されており、その意味でもこの作品は重要な作品である。
この後デューラーは、モノグラムの形や配置を画面全体のバランスを考慮に入れて
作品の雰囲気を壊さないようにいくぶん位置や形を変えるなどの工夫もしている。


参考文献:西洋美術事典

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「バッタのいる聖家族」について