ここに掲載の文書は、主にFaceBook に投稿した発表年月日の古い順に掲載しています


「パバロツテイ!!! トゥーランドット」

私が、アトリエで制作する際、彼の歌声が流れている時は、
ご機嫌の時だ!イタリアへの憧憬と思い出が交錯し
不思議と力がみなぎり筆が進んでいる時だからだ!


(2013年10月3日 画廊シェーネ 店主 奥田 聰 記)





「行き違い」

その日、画廊シェーネから第2冊目の「安徳 瑛作品集」の発刊したのを記念する個展を、
当画廊では、大作を飾るスペースの問題もあるため、銀座のアートスペースを借りて
開催したときの話である。

会場に当画廊の顧客で、当時、美術品のコレクターとして名高いある会社の重役が、
来られたので、早速画家本人をご紹介し、お話してもらった。「先生の作品のことは、
奥田さんからいつも聞いていて、かねてより注目して来ました。・・・」
安徳は、笑顔で応対する。「ところでなんですなー・・・先生の作品は、カチッとして
心筋梗塞になりそうなくらい画面がしっかりしてますなあ~・・・」
「おっとと・・」私は、いきなりの、この言葉にのけぞりそうになった。
顧客は、悪意を持って、発したのでは決して無く、むしろ好意的に、
安徳の堅牢な画面を見て、賞賛したのであった。しかし、この言葉を聞いた
安徳自身は、「むっと」したのは云うまでも無い。丁度そのとき、画家の友人が
来場したので、安徳は、早々に話を切り上げて、そちらに向かって離れて
しまった。
この顧客には、これまで色々な安徳の作品をご覧いただいていた。
「ハッチング」が強く効いた安徳の若い時代の公園で遊ぶ子供の絵には、
特に興味を持っていただいていた。が、最近の作品は、何故か、どうしても購入
していただけなかった。
ところが、この会場で、珍しく4号の淡い色彩の
油彩画を購入していただくことになった。

安徳自身は、そのことを知らないまま
長いこと、この顧客を不愉快に思っていたようで、「勝手に心筋梗塞になれ!」と
その時思ったと、後日語っている。

その日から、20年以上過ぎて、安徳 瑛もその顧客も今は、故人である。
この顧客の夫人から聞いたところよると、「生前、主人は、数あるコレクションの中で
4号の安徳さんの油彩画を特に大事にしていて、訪ねてくる人達に見せては、
自慢してましたよ!」・・・・・・・

画商というこの商いも永くやっていると、言葉の行き違いで誤解を招き、
意外な結末になっていることが明らかにされる時が来る。

(2013-11 ユズの実が成るとき:: 画廊シェーネ 店主 奥田 聰 記)



「キューブの油彩」

その日は、朝からとてつもなく冷え込んで、
お昼ごろの時間にもかかわらず気温は上がらず、
今にも、白いものが舞い落ちて来そうな
冬のある日でした。
シェーネの主は、
一月ぶりに、海老名の安徳のアトリエを訪問しておりました。

アトリエ改築時に特注したという安徳お気に入りの
北欧製の暖炉の窯には、私が、入室した時、
すでに薪がたくさんくべられて、
みるからに心地よい朱橙色の炎が燃えあがり、
部屋は、普通の上着だけで、十分なくらい
程よい暖かさに保たれ、
安徳は夫人と共に私を待ち、迎えてくれました。

次回の個展に向けての様々な話をしているうちに
安徳は、突如、暖炉の脇に高く積み上げられた、
普段は、処理の為に銭湯に依頼している
という近所の大工さんのためた建築端材を
暖炉用の薪にするために分けてもらったらしく、
その薪のひとつを手にすると
「どうだろう、奥田さん?
この薪に描いてみたいと思うんだけど・・・・」
私は、その思いもしない発想に躊躇無く、
「面白そうなのでぜひ制作してみて下さい!」
又これで近いうちに訪ねる大きな楽しみが出来たと
ほくそ笑んだ。

概ね、画家との付き合いで、アトリエを訪問をする際
完成される作品は、大抵、事前に予想出来てしまう画家が多いが、
安徳ほど、[作品が出来たよ!・・」と電話をもらった時点で、
「次は、どんな作品にしているのだろう」とアトリエを
訪ねる楽しみで、画商の心をワクワク興奮させる
作家はまずほとんど居ないと言って良い。

そんな経緯があって後、最初に見せられたのが、
写真掲載のこの「青いキューブ」と題した(木材に油彩・高さ20.5cm)
作品である。安徳は、この作品には、ことのほか思い入れが強く、
なかなか完成とは、云わなかった。
よく細部をみると、ところどころに虫食いの穴のようなものがあるので
尋ねると、「将来、私も、奥田さんも居なくなって後、何百年か先になった時
もしこの作品が残っていたら、下地の樹が朽ちたり虫食いになった時、
同化していい感じになる」というような趣旨の話をしたので私は,甚く
心動かされた。
安徳のこの恣意的な行動が、何百年かの時の経過の中で馴化されていくのを
立証することは出来ませんが、絵画を見る視点について考えさせられたのです。
この作品は、現在、画廊シェーネの貴重な所蔵品になっています。

この作品他、この年から1~2年、木に油彩で描いた作品を数点以上描き
それらを掲載発行した第2冊目の安徳 瑛画集「風よ!丘よ!」には、
私の友人でもある詩人の小川英晴君が詩を寄せてくれましたが、
その中で、「風化によって、完成に近づいてゆく風景もあるのだ・・後略」
と言い切った詩は、用意してくれた小川の数ある詩の原稿の中でも、
今まで誰も言わなかった言葉だったので、安徳も私も、この詩を一番気に入り、
展覧会場での展示用にわざわざ小川の自筆で色紙に書いてもらったりもしました。

数年の後、この作品を見た、知り合いの建築家の一人が
自分が計画しているビルの外壁をこの作品のように
安徳に描いてもらいたいという話も持ち上がりました。
が、生憎、その時、
すでに安徳自身は、余命幾ばくも無い癌に侵されていた為に、
実現は出来ませんでした。
木に油彩の作品は、その頃、安徳が教鞭をとっていた武蔵美でも一時期
若い学生達に少なからぬ影響を与えるなど、

いろいろな意味で
この作品は、安徳 瑛と画廊シェーネの主である私との間の絆として
今でも、特別に思い出深い作品なのであります。


(2014年正月 画廊シェーネ店主 奥田 聰 記 )





「富士の絵」

昨年6月、富士山が、ユネスコの世界遺産に、登録された。
古来より、日本の多くの画家達が、様々な富士山を描いて来たし、
又富士ほど、プロの写真家からアマチュア達に至るまで、
数限りなく撮影され続け、或いは、
千差万別の工芸品の中でその勇姿が、
取り込まれてきた山は、皆無と言っても、差し支え無いであろう。

殆どの日本人は、長い外国生活からの帰路、太平洋上の飛行機内などから、
まず富士の頂きが眼に飛び込んでくると、
心が、熱くなることを体験している。

実は、安徳 瑛も、生涯で一点だけ、富士を油彩で描いている。
それがこの「夏富士」(20号)である。
山を描いた油彩の作品は、この時期に
のみ集中し、8点だけ存在し、
いずれもただ単に、山の姿を描いたというだけのものでなく、
安徳 瑛が、物を見る視点と絵画上のリアリティと虚構
さらに言えば、内的な創作の課題に特に心砕いたという点で、
安徳 瑛の生涯を語る時に重要である。

かつて、「詩と思想」(土曜出版社刊行)(2001年3月~7月号)の
「美術時評」のコーナーで、この8作品の中の1点、
フランスのサント・ヴィクトワール山を描いた安徳作品について
「青のサント・ヴィクトワール」と題して私が投稿した文章を、
ご興味おありのかたは、ぜひご一読くだされば幸甚である。

当方H,Pの
http://www.gallery-schoene.com/sitosisou/poem5.html でも掲載

この「夏富士」と最初に出会ったのは、
第3の安徳 瑛画集の発刊の打ち合わせのために
アトリエを訪ねた、
変わりやすい秋の曇天の日であつた。
イーゼルに挟まれたこの描きかけの作品は、
この日の薄暗い採光のアトリエの中で、
真っ黒な塊がシルエット状に不気味に浮かび上がり、
私は、ドキッとして、画面を凝視した。
何を描いたのか、一瞥した時点では、全く判別出来ない。
富士を描いていると云われて、なるほど全体の輪郭から推測するところ確かにそうだ。

しかし、これは、一般人が通常考える美しい富士ではなく、
地球という母体の腹の底部でドック、ドクッドクッと不規則に胎動する
怪しげな生命体の塊のうごめきと叫びに見えたのだ。
大抵の富士を描く画家達は、わざわざ見目の悪い
宝永山の裂けるような火口を
こんなにあからさまに表現することはない。
遠目で見る
雪山の美しく、他を凌駕する富士こそが、
日本一と崇めて描くのに、安徳は、明らかに
それに逆らっている。
安徳の狙いは、どうやらそこにあったようだ。

私は、その瞬間、おしなべて万物優れたものは、
殆ど、萌芽の時点でその兆しが、みえると、
常づね思っていたので(この点は、今でも変わらない考えであるが、、、)
この作品の完成を待つまでもなく、
これは、安徳 瑛の間違いなく重要な作品の一つになると確信して、
当画廊の永久収蔵品として確保することを決めた。


(2014年3月 画廊 シェーネ 店主 奧田 聰 記 2月投稿のfacebook掲載文章を一部訂正)




「男心」

写真:安徳 瑛作「ばけもの柚子」水彩・はがき大

このところ、FBからのお知らせとやらで、
毎日のように「安徳 瑛について何か投稿しよう!」
という催促状が届く!
大体において、子供のころから、強制されて何かを行うことや
教室で黒板に向かって、皆一緒におとなしく、一方的に先生の話に
辛抱強く耳を傾け、納得しているふりをする授業というものに
常に、ほとほと嫌悪感を感じていた私には、
窓の外で本能に基づいて自由に飛来する鳥達や、
虫達の姿が羨ましいと思っていた。
このお知らせとやらも、私にとっては、
「大きなお世話で、めんどくさい奴だな!書きたくなった時に、
いつでもその時書けばいいじゃん!」とは思うのだが、
コンピューターと喧嘩してもしょうがない、
ITの論理に、たまには、合わせてみようかなと思い投稿しました。
この写真に掲載の「ばけもの柚子」の小さな水彩作品は、
ある冬の日に安徳のアトリエを訪ねた時、
本や、文房具、画材等々が乱雑に置かれていた机の上で
見つけたものである。手にして眺めていると、
「気に入ったら、奥田さんにあげるよ!」ということで、
結果、私のものになった作品である。
元来、安徳は、気持ちが通じると、手慰みに、描いたものを、
気前よく人にプレゼントしたり、自分の絵画教室の弟子たちや
飲み屋の女の子達の目の前で、小品を気楽に描いて
それを贈与する姿をしばしば目にした。
特に相手が女性である場合が多く、はがきや手紙の類も
お気に入りの女性達には、よく絵入りのものを
送っていた様である。
ちなみに私は、安徳とは文書だけのハガキは、
よく交換していたが、何故か、カミさん宛のはがきには、
必ず絵の図柄が入ったものであった。
どうやら、安徳のこの行為は、多くの女性から好感を得たい
いうスケベな「男心」そのものに忠実に従っていただけ
なのだといえよう。
この点においても私は、安徳 瑛を語る時、
お気に入りの一人の男性から、自分だけ独占的に深く
愛されたいという大概の女性達の持つ特性とは違い、
安徳が、多くの男達の動物的な本性そのものを持った、
極く普通の良識人であり、ほほえましい好人物であったと
今日でも、懐かしく思い出すのである。

注)上記文書は、2017年2月9日FaceBookへの投稿文書を掲載したものである




「ひと時の夕べ・風」

此の所、安徳 瑛のFaceBookのプレビューが、
何故かよくわからないが、日毎に増えて来ているので、
FBの管理サイトから、投稿を促すお知らせがよく届く!
そこで、本日は、安徳 瑛が屡々、画題として名付けた
「・・・風」に関して一言!

昨年暮れ、画廊 シェーネの主は、
「安徳 瑛を讃える為のシェーネの庭」一角に、
かねてより準備していた「イタリアの風」の
コーナーを漸く設けました。

故・安徳 瑛は、若い頃から、初期ルネッサンス時代のシエナ派のイタリア人画家(29歳で没)、
アンブロージョ・ロレンツェッティの都市空間の描き方に、強く啓示を受けて来ました。
安徳 瑛は、ルチアーノ・パバロッティの歌う
「風に託そう私の歌」をアトリエでいつも聴きながら絵を描いていたことは、かつてFB上で、紹介済みですが、
遺した手記の中「風よ!風よ!」(40号油彩)
という'風シリーズ'の作品の一つの制作段階で
次のように語っています。
「・・・(前略)・・・
ノヴェチェント・イタリアの作家シローニ(1885-1961)は、現代の工場群の中に象徴として車を、描き加えている。
僕の車は、私達の
時の実感、あるいは、テンポの象徴として加えてみた。
・・・(中略)・・過ぎ行く風の如く爽やかな性の証として把える確固とした造形を願った。・・・・」
常日頃、このシローニ他、キリコ(1888-1978)や
モランディ( 1890-1964)など形而上学の作家達を好んだ安徳にとって、「抽象と具象」「黒と白」「動と静」などなど、
相反する両極に対峙するこの世の事象を叙情的にならず理性的に認識し、多視点の技法を投入することにより、
キャンバスにその全てを確固とした不動の造形として留めたいという思いで腐心する姿は、頑なで、無難な考えを堅持する
人達には、なかなか理解され難いまま、
むしろ「変人」扱いされて、特別大きな賞なども
得ることもなく、その生涯を閉じてしまいました。
私が、つねに強く惹かれる「変人」扱いされて来た天才達、
例えば、「牧神の午後」の舞踊譜で知られ、
バレーの世界を大きく変革させながらも、
奇人扱いされていたニジンスキー(1890-1950)
舞台での公演を一切拒絶した、天才ピアノ演奏家の
グレン・グールドもまた然り、その行動と演奏態度は、
奇人扱いされ、「まっとう」と言われるごく普通の有能人たちには、眉をひそめられました。
このところの安徳 瑛のFBの新規プレヴューが増えて来た
ことが、すなわち、これまでの安徳ファンにとどまらず、
美学を研究する若い学生諸君達をはじめ、時代を担う若く精力的な美術家ならびに愛好家達にも、
安徳 瑛の絵画を改めて見直していただき、
この天才画家・安徳 瑛の正確な理解に結び付けられる序となることを希求して止みません。


注)上記文書は、2017年8月14日FaceBookへの投稿文書を掲載したものである